HISTORY
唐津の歴史
唐津は、古代から大陸との交流の窓口として栄え、
各時代の文化・歴史が幾層にも重なる奥深いまちです。
原始の稲作文化から近代の炭鉱産業まで、
先人たちが紡いできた歴史の鼓動をたどります。
日本で最初に伝えられた稲作文化
原始 ― 縄文・弥生・古墳
菜畑遺跡 ― 日本稲作発祥の地
唐津市の菜畑遺跡は、日本最古の水田跡が発見された場所として知られています。紀元前6世紀頃、大陸から渡来した人々がこの地で稲作を始め、やがて日本全国へと広まりました。唐津は、日本の農耕文化の原点とも言えるまちなのです。
末盧館(まつろかん)
菜畑遺跡の出土品を中心に、唐津の古代史を紹介する歴史資料館です。「末盧国」として魏志倭人伝にも記された唐津の、大陸との深い交流の歴史を学ぶことができます。復元された竪穴住居や水田なども見どころです。

菜畑遺跡
日本最古の水田跡。稲作文化発祥の地。

末盧館
末盧国の歴史を伝える資料館。菜畑遺跡の出土品を展示。

久里双水古墳
全長約108mの前方後円墳。古代唐津の権力を示す。
今も語り継がれる松浦佐用姫伝説
古代 ― 飛鳥・奈良・平安
鏡山と佐用姫伝説
「唐津」の地名の由来は「唐(大陸)への津(港)」。古代より大陸への玄関口として重要な役割を果たしてきました。標高284mの鏡山山頂からは、唐津湾から虹の松原、そして遥か玄界灘を一望できます。
この地に伝わる松浦佐用姫の伝説は、朝鮮半島へ出征する恋人・大伴狭手彦を鏡山から見送り、悲しみのあまり石に変わったという物語。万葉集にも詠まれた、唐津を代表する伝承です。

鏡山展望台
唐津湾と虹の松原を一望する絶景スポット。

佐用姫像
悲恋の伝説を伝える松浦佐用姫の石像。

万葉歌碑
万葉集に詠まれた唐津の歌を刻んだ歌碑。
海を舞台に活躍した松浦党
中世 ― 鎌倉・室町
松浦党と波多氏の隆盛
中世の唐津一帯を支配したのは、水軍として名を馳せた松浦党でした。なかでも波多氏は、玄界灘を拠点に大陸との貿易で富を築き、この地域の発展に大きく貢献しました。元寇(蒙古襲来)の際にも果敢に戦い、その勇猛さは全国に知られています。
岸岳城跡
波多氏の居城であった岸岳城は、北波多の険しい山上に築かれた山城です。自然の地形を巧みに利用した堅固な城郭で、中世の築城技術を今に伝えています。城跡からの眺望は素晴らしく、玄界灘を一望できます。

岸岳城跡
松浦党・波多氏の居城。険しい山上の中世山城。

鵜殿石仏群
岩壁に刻まれた仏像群。中世の信仰文化を伝える。

近松寺
近松門左衛門ゆかりの古刹。唐津の文化を象徴する名刹。
全国から名だたる大名が集結!
近世 ― 安土桃山・江戸
名護屋城跡
豊臣秀吉が朝鮮出兵(文禄・慶長の役)の拠点として築いた名護屋城。わずか数ヶ月で完成し、大坂城に次ぐ規模を誇りました。城の周囲には130を超える諸大名の陣屋が構えられ、全国各地から20万人を超える人々が集い、一大都市が出現しました。
現在は国の特別史跡として整備され、当時の壮大なスケールを偲ぶことができます。
唐津城
慶長7年(1602年)、寺沢広高によって築城が始まった唐津城。別名「舞鶴城」とも呼ばれ、海に面した美しい天守閣は唐津のシンボルです。名護屋城の解体資材を用いて建てられたとも伝えられ、二つの城の歴史は深く結びついています。

名護屋城跡
豊臣秀吉が築いた大坂城に次ぐ巨城。国の特別史跡。

唐津城
海に臨む「舞鶴城」。唐津を代表するランドマーク。

名護屋城博物館
日韓交流の歴史と名護屋城の全貌を紹介する博物館。
炭鉱開発で華めいた唐津
近代 ― 明治・大正・昭和
旧唐津銀行
明治期、唐津は石炭産業で繁栄し、近代日本の発展を支える重要な拠点となりました。その象徴が、辰野金吾の愛弟子・田中実が設計した旧唐津銀行です。赤煉瓦と白い石材のコントラストが美しいこの建物は、唐津が経済的に栄えた時代の証として今も市街地に佇んでいます。
旧高取邸
炭鉱王・高取伊好の邸宅として建てられた旧高取邸は、約2,300坪の敷地に和洋折衷の壮麗な建築が広がります。能舞台を備えた大広間や、精緻な欄間彫刻など、当時の文化水準の高さを物語る国指定重要文化財です。

旧唐津銀行
辰野金吾監修の洋風建築。東京駅の設計者ゆかりの地。

旧高取邸
炭鉱王が築いた和洋折衷の邸宅。国指定重要文化財。

旧三菱合資会社唐津支店
石炭積出港として栄えた唐津港の歴史を伝える建築。